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いまさらなぜか『ホットロード』を見に行ってきました。

まだ観に行っていない人にとっては、というより紡木たく原作『ホットロード』を知っている方にとっては、今さらなんですがネタバレとなってしまうことになるかもしれません。

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最初は、見に行こうか行くまいかと、ずいぶん葛藤がありました。

その理由の、一つ目はいまさらこの年齢で『ホットロード』もないだろう…と思ったこと。

次に、映画『ホットロード』を観たことで、自分の中にある『ホットロード』の”世界観”が壊されてしまうのではないかとの不安です。

もうひとつは、『ホットロード』を深く心の中に沈めてしまい、封印してしまいたいという気持ちを持っていたからです。





実は自分自身『ホットロード』世代の少し上の世代になります。

暴走族の全盛時代でもあり、誘われることも多かったのですが、わたしは”つるんで走る”のが大嫌いで、でもバイクが好きで好きで、学校をサボって湘南や箱根を我が庭のごとく一人走り回っていました。

バイクのガソリン代も、当時ハイオクガソリンが1リッター58円と、学校の購買で買う昼食のパン代150円をやりくりすれば充分でした。

わたし自身、物心がついた時は父方の田舎で育ち、横浜で暮らしていた時期には母子家庭でした。

昼も夜も働いていた母親との、唯一親子水入らずであるべき休日には母の愛人が家に遊びに来ている、そんな環境で大学に進学するまでの思春期を過ごしました。

わたし自身も「和希」と同じように愛情に飢えていたのだと思います。

それでも牛乳配達をして手に入れたバイクを走らせている時だけは、何もかも忘れる事が出来たのでしょう。

あぶない走りに挑戦し、それで死んでも良いとさえ思っていました。


わたしは暴走族には入りませんでしたが、当時付き合っていた彼女がまさに家庭環境に問題を抱えていたヤンキーで、またレディース(族)でした。

おそらく、彼女には自分と似た寂しさを感じたからだと思います。



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当時の彼女との、悲しい別れを思い出すのもつらいので、当時の想い出に触れるものは極力避けてきました。

しかし最近『ホットロード』がメディアに露出することが多くなるにつれ、当時のことを思い出し、物思いに耽る事が多くなりました。

そして、昨日のことより当時のことの方が鮮明に思い出せることに気づかされ、自分自身非常に驚きました。





身体の傷は時間が経てば癒えますが、こころの傷は必ずしも時間だけで癒えるものではないので、正直思い出すのは怖いのです。

それでも、大きなためらいを抱えたままで、ひと駅隣の街の「映画館」に行きました。

ネット予約をしていたので、チケット購入で並ぶことも無く、開幕までは手持無沙汰でした。

どんな年齢層の人たちが見に来るのか人間観察をしてみましたが、10代の女の子同士、20代のカップル、40代くらいの女性同士、なかには50代くらいの女性のすがたもチラホラと見受けられました。

予想していた通り、映画館には幅広い年代の入場者がいました。

平成生まれの10代、そしてまさに1980年代の「ホットロード」世代。そして、尾崎世代と…

こんなに多くの若者やかつて若者であった人々の心を捉えることのできる作品はそう多くは知ないでしょう。

おそらく、作者自身も予想だにしなかったことだことでしょう。





しかし、映画が始まって中盤を過ぎたころ、席を立つ50代くらいの女性の姿が
あった。

席を立つ前に、なにやらブツブツ言っていたのは、自分の期待していたものと相違があったに違いないと感じました。

人それぞれに、紡木たく作品へ抱く思いはまちまちではないかと思います。

また、それぞれでいいのだと思います。





しかし、紡木たくを知らない世代のみなさんは「大人との対立の構造」を知らないでしょう。

高度経済成長の中にも、今と違った若者たちの閉塞感があったことを知らないでしょう。

おそらく、紡木たくを知らない世代のみなさんは『ホットロード』を”ラブストーリー”だと思っていることでしょう。

ある意味”ラブストーリー”であることに間違いは無いのですが、もっと深い「自分の生きている意味」や「母(おや)と子の愛の溝」だったり、平成の今ほど”マイルド”ではない問いかけがされています。

それから絶対付け加えておきたいのは「父親の不在」という紡木たく作品に共通しているテーマ性も隠されていることです。



映画を観終わって少なくともわたしは、映画のシーンのいくつかに流れている”その当時の空気”を吸う事ができた様に思います。

わたしにとっては『ホットロード』を客観的に観ることはとても難しいのですが、それでもかなり「原作」に近い空気感は感じることができました。

原作者の紡木たく自身が監修に加わったことと、監督三木孝浩の作品は早稲田大学時代から現在にいたるまで、とても明るい透明感を持っているのでかなり原作に近い作品に仕上がっていると言えます。

つまり「映画版」『ホットロード』の”あらすじ”というのは「原作」のそれであると言っていいのではないかと思います。

それでも、いくつかの不満は残ってしまうのは仕方ないことだと思います。

その不満な点については後程、別の機会にゆずりたいと思います。





さあ、現代を青春として生きる世代の皆さんは『ホットロード』をどのように感じられたのでしょうか?

いまわたしは是非知りたい、そう思っています…


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